垂直性と水平性の編み目の向こう側・田中ましろ「かたすみさがし」寸感

/ 2014/12/03 /
 プロフィールから読み始めるのは反則のような気もするが、田中ましろさんはコピーライター・CMプランナーを生業としつつ、「うたらば」「短歌男子」といった多種多様な場を設ける活動を行いつつ作歌している方なのだという。
 短歌に使用されている語彙や用字の傾向など見ていると、なるほどと膝を打ちたくなる。ざっくばらんな口語調で作られた歌の多くが、難解な語彙や短歌特有のレトリックよりも、辞書をひかなくても読めるような、とっつきのよい言葉づかいで書かれている。一読して区切りがわからない、読み下しが難しい、と感じた歌はほとんどなかった。

 待つことは待たせることか海までの坂にだれかの蜜柑は朽ちて
 春の日に手を振っている向かい合うことは誰かに背を向けること
 骨の鳴る音を聞かせて僕たちはどうしてもどうしても異なる

 青春歌特有の反証する意識に満ちた歌をひいた。一首目、「待つ」ことの焦燥、孤独は「待たせる」ことでもあるのではないか、という思い、だろうか。「海までの坂」が高揚を感じさせるが、結句の蜜柑が時間の有限性を暗示しているようでもある。二首目も「向かい合うこと」の陰に存在する「オモテではないほう」を扱った歌だ。よろこび、情熱100%といった若さの少し先の「大人の青春歌」だろう。三首目では恋愛感情のなかにある「同じでありたい」欲望の満たされなさが「どうしても」のリフレインで強調されている。岡崎裕美子の『はい、あたし生まれ変わったら君になりたいくらいに君が好きです。 』という歌とネガとポジの関係にあるような歌だなと個人的に思った。

 ひとすじの雨になりたいまっすぐにあなたに落ちていくためだけの
 一回のオモテの妻の攻撃がもう三時間続いています

 一首目、語順の倒置によってもじもじ感(?)があぶりだされる歌。二首目は夫婦喧嘩を野球中継になぞらえた歌。試合を終えるにはかなりの時間を要しそうだ。しかも「オモテ」ということは、まだ一度も反撃をしていない。これはつらい。つらすぎるが、オモシロうてやがて悲しい歌になっている。
 調べはとてもなめらかでありつつ、句割れ・句跨がりも非常に多いが、それは前衛的な屈曲・屈折、意味と調べの脱臼を狙ったものというより、自然に繰り出されたリズム感の成果と感じた。平易な言葉を連ねたようでいて、言い方のバリエーションは多彩である。言葉の扱いに習熟していないと、なかなかそうはいかない。

 そんなわけでスルスルと読んでいけるのだが、いくつか疑問に感じた歌もあった。

 ストライク投げても受け止めないくせにミットかまえて「恋」なんて言う
 いちばんの自分の敵は自分だしあなたは敵というか、素敵だ
 世界地図に打たれた赤いピンを抜く 指先で消す未来のかたち
 食塩は湿気を帯びる 飛び出せば自由が待っているはずの朝

 一首目、三句目までで恋のメタファとしては充分で、“「恋」なんて言う”は言い過ぎだと思う。特にその言葉遊びは。二首目の言葉遊びも、どうなのか。「素敵」のなかに「敵」が含まれているという発見があったのは、わかるけれども。
 三・四首目は上下のレトリックの重量が釣り合わなかったんじゃなかろうかと感じた歌。三首目の「未来のかたち」というのがどうもうまく見えてこなかった。ピンを抜いた跡が複数あって、その軌跡を言っているのだろうか。四首目の上句、湿気を帯びた食塩は、下句の「飛び出せば自由が待っているはず」と呼応しているのかと思うが、自由の所在を塩の潮解性に託しているのだとしたら、下句はかなり冗長になってしまったのではないだろうか。

 とりどりの線でこの世とつながってしずかに隆起している身体
 まんまるい言葉ばかりだ なにひとつ死の感触を知らないわたし
 生きるとは何を残すかではないと父は言う 何も残さないと言う

 父の癌闘病を見守る息子の歌が収められたⅡからひいた。他の章とは異なる比較的ストレートな心情をのせた歌いぶりが散見された。
 特に三首目の歌が心に残った。生きている側、生き残る側のセンチメントを拒絶するかのような父の言葉に、息子は驚いたのではないだろうか。その驚きが、加工を排した筆致でぐっと迫ってくる。

 短歌の表現において、短歌特有のレトリックを駆使することは「古い」のだろうか。排他的なのだろうか。句割れ句跨がり、序詞、枕詞、係り結び、本歌取りといった技巧を取り入れて歌をつくることは、読み慣れない人に対して「不義理」なことなのだろうか。「かたすみさがし」をスルスルと読み進めながら、そんな長年の命題がぼんやりと浮かんだ。短歌と縁遠い人でも拒否感を持たずに読めるような工夫、それを仮に「水平性」と呼ぶとすれば、短歌にしかできない、それでしか味わえないような表現の特異性は「垂直性」といっていいのかもしれない。
 抽象的な話になってしまった。そもそも水平性や垂直性といったところで、誰もが両方を持ち合わせているのだとも思う。成分の強弱がゆるやかだったり、極端だったりというだけで。

 田中ましろさんにとっては、どうなのだろうか。平易な言葉を柔軟に、多様に駆使しながらも、独特なものを生み出したいという思いもあるのではないか。水平性のみではない、垂直性の強い歌を今後書かれていくこともあるのではないか。

 そんなことを思いつつ、以下、好きだった歌を挙げます。

 石ころに引かれて進むこどもたちと思ったらなんだ蹴っていたのか
 飲み切ったあとに生まれる暗闇をこぼさぬように缶をもつひと
 近づけば光らない石だとしても星 それぞれに夢を見ている
 胸のうちにまだ香りたつ日々のなか小さな部屋で栞を失くす
 決められた席に座れば安堵してみんな埴輪になってしまった


※「かたすみさがし」には読みとることでスマホや携帯電話で映像などのコンテンツを視聴できるQRコードが本文内に添えられていましたが、私の環境ではコンテンツを再生することができず、上記の文章はそれらを未視聴のままで書いています。

※追記2:記事アップ後、著者ご本人からURLを教えていただき上記コンテンツを視聴することができました。現在は一般開放中とのことです。URLはコチラ↓
田中ましろ歌集『かたすみさがし』WEB

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