インターバル

/ 2017/03/26 /
前回のエントリからあっという間に二ヶ月弱が経ってしまった。早い。早すぎる。
新鋭短歌シリーズの感想を書き始めてから三年余り、やっと第一期の鑑賞を終えた。シリーズはもう第四期の募集が始まっている。あれれ。

そもそもこの感想は、ツイッター上で歌集から何首か歌をひき、短い感想を書くところから始まった。ちょいちょい見かけるそのスタイルが自分には何やら書きづらく、ブログに場を移して続けることにした。

さらにそもそも言うと、この感想はリハビリのつもりで始めたものだった。7年程前(記憶がかなりあやふやなので具体的な時期は特定できない)、短歌を書くのも読むのも難しくなった時期があり、ほとんどの歌集や総合誌が読めなくなってしまった。巷によく言う「文字が目に入るけど内容が頭に入ってこない」状態だった。
当然作る方だけできるなんてこともない。むしろそっちはもっと深刻だった。書いても書いても自分の書いたものを翌日読むとげんなりする、の繰り返し。パソコンやスマホで書くと、嫌な文字列を破り捨てることができない。パッとデリートしたのではカタルシスがなく、悶々したもやだけが残り続けた。

とにかく考えをまとめるリハビリとして、感想を文章にする練習を始めた。書くスタイルも段々と変化し、文章量も(結果的に)徐々に増えていった。はじめの方の感想と、後の方の感想のスタイルに一貫性がないのはそのためで、他の意図は何もない。
はじめは抽出した歌の解釈と全体評、みたいなものだったのが歌群を抽出して分類したり…みたいになっていった。これは恢復しているといえるのかそうでもないのか、現時点では自分にはよくわからない。ただ以前より、短歌について考えることにだいぶ「手足が動く」ようになってきたのかな、とは漠然と思う。

読めないならやめればいいのである、とは思う。難しいとか苦しいとか、そういうふうにしてやる必要のあることなのか。おぼろげながら覚えているのは、感想を書こう、と決めた時、短歌について、もう少しだけ考え続けたい、考え続けよう、と思ったこと。ひっかかったりつっかかったりするのは、自分の中にまだ何か「こだわり」みたいなものがあるのだろう。その「こだわり」がある限りは、もう少し考え続けてみよう。

この先の書くスタイルとしては、10〜15首を選んでそれについて触れる、というスタイルに移行しようと考えています。少しスピードを上げて今年じゅうに少なくとも第二期の歌集について考えたり書いたり、を終えたいところ。
すでに3月が終わりそうな気配ですが、ぼちぼち進めていきたいと思います。

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