9月の現状

/ 2019/09/22 /
短歌研究社の月刊誌「短歌研究」10月号の別冊、「短歌研究ジュニア」編集委員を務めました。


「少年少女のための短歌マガジン」と銘打たれたこの本は何冊か続きます。いいですよねこのキャッチフレーズ。
古今東西の名歌から「オールタイムベスト」として選んだ100首を解説、くわえて現代の最先端の歌を紹介する、という本です。
読んでね。



東京四季出版「俳句四季」10月号で「最近の名句集を探る」座談会に『景色』を取り上げていただきました。


筑紫磐井・齋藤愼爾・今泉康弘・野口る理の4氏の鼎談です。齋藤愼爾さんにウケる句があってよかった…。いろんな意味で吃驚しました。
読んでね。

まったくの余談ですが『景色』は表廻りのデザイン(カバー・表紙・化粧扉)を除いて、本文のレイアウト・組版は著者がやっております。
たいしたこだわりがあったわけでなく、いろいろこまごまと指定するぐらいなら自分がやったほうが早い、というそれだけです。
著者自装はちょいちょいありますが著者自組みはどれぐらいあるのだろう。

来月さ来月もなにがしか成果物があるのでまた都度お知らせします。

方法と目的と内容と主張

/ 2019/08/19 /
以下、自分用メモなので結論もなにもありません。

近現代短歌をあれこれひっくりかえしていて、うーんこのやり方はちょっとねー、とか、言いたいことはわかるけどなあ、とか、ああこの案配がね、とか脳内でわやくちゃ思っていると、方法と目的と内容と主張、などというレーダーチャートの項目じみたことが頭にのぼってくるわけです。
五角形にしたかったらここに調べが加わるのかしら。なんかそれは系統が違う気もしますが…

「語り」に限りなく近づきつつ音数は字余り気味であっても、ほぼそれが頭か足に吸収される作りをしていれば、読み慣れていれば自然と句に収めて読めるのですが「語り」の「内容」がほぼ「主張」だったり、「主張」のための流れ以外を見いだすことができないなーという場合のそのヘヴィさは音数をともなってぐっとくどく迫ってくるわけです。

いっぽう「語り」でありつつ最終的に喩や引用に水をひいていく、みたいな「方法」は前述の「くどさ」を回避しつつ、語りを好む面々からは肩すかしのように見えたり、深浅の評価は見る場所によってがらりと変わってしまうのでしょう。

個の主張なんて本当に必要なんすかねえ。
内容も主張も、それ自体が立派なものかどうかなんて、まったく主眼じゃないと思うのだけど。

(つづかない)



絵を描くということ

/ 2019/07/16 /
最近 #peopleskeching というタグをつけた画像をSNSに投稿しています。
ご興味をお持ちの方はご覧になってみてください。


はたちごろまでは絵を描いている時間のほうが、本を読んでいる時間より断然長かったのですが。
30歳ごろからだったか、だんだん絵を描くのがしんどくなってしまっていました。

当時はちょうど絵の学校に通っていたのですが、学校の課題はまあなんとかするとして、それ以外になにかを描くのがとにかく苦痛でした。

ものごころついたころからチラウラと筆記用具を握りしめていたというのに、
障子紙にキャンディキャンディを模写したものを小学校で売っぱらってちょっとした問題になったり(たしか10円ぐらいだった)、
ひとの家に遊びに行って「絵を描いていい?」と聞き、持参したスケブに絵を描き始めてしまう、というような(今思うと)おかしなこどもだったのに、
これはいったいどうしたことだろう。

当時は自分自身に困惑しました。
なんでもいいから描いたらいいじゃない、とお思いかもしれませんが、そういうことでもないんです。
らくがきをしようと線を描いても、そのあとが続かない。
なにも出てこないので、描く頻度が減る。
そうすると手はすっかりダレているので、「こうしよう」と思った線がまったくひけない。
描く頻度が減る。
という、デフレ(?)スパイラルに入ったんですね。

タブレットとスタイラスに慣れよう、とはじめたスケッチですが、
さいきん少し楽しくなってまいりました。
やはり思った線は描けていないのですが。

絵を描くということは、自分にとってはなにかの回路なんだろうと思います。


眼鏡ユーザーになりました

/ 2019/03/17 /
このぐらいの時間(深夜)になると、ディスプレイの字がだぶって見えて仕方ない。
居間の自分の椅子から、テレビの番組表の文字が読めない。
なんてことが続いたため、とうとう眼鏡ユーザーになりました。
老眼鏡は持ってたんですけども。

視力は1を切っているようです。
乱視も若干あるもよう。
オウ。
数年前まで1.5ぐらいあったんですよ。
愕然としていたら眼鏡屋のおねえさんに「ウチではこれは見えすぎなほうです」と言われちゃった。てへ。


普段本を読んだりするにも必要なくて、主にパソコン用って感じです。
そういや昔、眼鏡の「つる」をどっちから畳むか知らなくて、眼鏡ユーザーだったBFに笑われたよなあ、なんてことを思い出した。
ケースの中にどっち向きに入れるかも知らなかった。
今回ちゃんと教わりました。
なにせ初めてなもので。

慣れないせいか外したあとも少し色割れしてるみたいに見えることがあります。
ぼちぼちです。

よもぎデイズ・一周年

/ 2019/02/11 /
よもぎと一緒に暮らし始めて一年が経った。


体調は良好、よく食べよく眠っている。
同居してひとつきほど経過したころ、居住部屋のドアに猫ドアを取り付け、廊下と室内を行き来できるようにした。
わずかな距離でも内外があるのはやはりいいのだろうか、出入りして廊下を「散歩」するのが日課だ。(ちなみに先住猫は猫ドアを自力で開けることができない。糸で吊って開けてある。よもぎがあッという間に猫ドアを習得してすごいと思った)

保護時にかなり弱り、かがむのが困難だった後肢は動物病院ですすめられたサプリメントがよく効いて、ちょっと走れる程度に回復した。歩く姿は少々よたよたしているがすごい進歩だ。
レントゲンによって背骨の変形が判明している。後肢を使ったジャンプなどはまったくできない。おじさんの膝から降りる時も補助がいるが、ねこも人間も慣れてきたようだ。

保護時の検査でFLV陽性だったため、先住猫とはずっと隔離して生活している。
いまのところFLVの症状はほぼない。保護時はくしゃみ・鼻水がかなり頻繁だったがその後頻度がだいぶ減った。

猫・FLVで検索してたどりついた方のために。
我が家では食器を完全に分け、餌をあげる場所もまったく別にしている。よもぎのくしゃみ・鼻水などがつくこともあるためよもぎをケアした後、先住猫(非キャリア)に接触する前に手洗いを必ずしている。
食器を洗うスポンジ、ふきんも分けている(動物病院ではそこまでしなくても大丈夫ですよー、とは言われましたが)。
サプリメント以外に投薬的なことはしていない。
昨年抜歯を決行したけれど予後は良好、餌の食いもずっと落ちなかった。
(口中の状態は見れる範囲で見ていて、治療の跡が完全に見られないようになるまでは数ヶ月かかった)
途中便秘気味になり、消化サポートの療法食に切り替えたりなどしました。
とにかく食事と排泄は注意して見ています。

先住猫はよもぎの保護後四ヶ月ほど経過した頃にウイルス検査を受けて非感染を確認している。今後も経過は見ていきますが。

それにしても。
老猫はいい。
よもぎ(推定15歳以上)と一緒にいて、うろんな時間を過ごすこの喜びよ。
先住猫・綸子(推定13歳程度)はまだやんちゃで、人間の足下をうろついたり、こねこのような仕種を見せることが多いけれど、よもぎはどっしとした態度がゆるぎない。
トシだけじゃなくて、性格なんでしょうけどね。

画像フォルダのなかに6年程前に撮影したよもぎの姿があった。


外猫時代のよもぎ。この頃はまだ触れることもかなわず、ちょっと離れたところから見ていることしかできなかった。
彼はすでに外猫としてベテランの風格をたたえていた。
(恰幅のいい記憶があったけど、これは暑い時期の写真なので痩せているようにみえる)

おじさんは毎日よもぎをお膝にのせてのんのんしているそうだ。
これからまた一年、元気に過ごしてもらうのだ。

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